2013年01月19日

ホメ日報

先日ちょっと触れた孤独のグルメのドラマ、楽しみに見てました。
しかし原作は大嫌い。生理的な嫌悪感がするくらい鈍い感性の
大学生レベルの屁理屈に、谷口ジローがかかわってるという事が
口惜しくて仕方ない。マジで刊行当時からスーパーイライラさせられました。
ナックルウォーズの…事件屋稼業の谷口ジローをこんなことに
使いやがってというの半分、でもこれが売れるマンガなんだとすれば
印税で少しラクさせてあげたい、という狂ったファン心理半分。

でもスカスカの内容を、谷口絵が救ってるのもあり
まあしょうがねーかと思ってまして、ドラマ化も一切期待してませんでした。

シーズン1をたまたまTVで見た時、ああ、このつまらなさ、
忠実に再現してどうする、くらいでそのままチャンネル変える。
でシーズン2になって、またもスルーしてたんですがたまたま
ブラジル料理の回を見る。

あれ?随分丁寧にやってるな。もうちょっとダメな印象だったけど。

翌週、横浜の喫茶店で驚く。
この狭いのに俯瞰か。好きじゃないと出来そうもないな。えらいな。

ツレアイも面白いんじゃない?とつまんないドラマだとの俺の評価に異議。
確かに、こんなじゃなかった。じゃあその次も見てみるか、と
続く四川家庭料理、千葉のハマグリと見たら立て続けに面白い。
カメラワークの遊び具合、話運びの緩急、ものすごく楽しそうに仕事してるのが
伝わってくる。おお、これは当たりドラマだ、と思ったら
続く3話は、3回とも途中で違う事を始めてしまって見てられないほどの
引きのなさ。
なにこれ?と思って調べたら、当たった回の演出と、ハズレ回の演出が
別人でパッキリ分かれていると判明。

基本的に、料理は主観で十分決着つくものだし、映像も主観で完結できる
ものであると考えられますが、その考えが通用するのは高校生まで。
実際には、いろんな見えない気遣いや、工夫が完成品に隠れており
大人になるとその気遣いと工夫が、努力や着眼点の賜物だっつーのが
理解できるようになるわけです。


で、五郎が飯食おうと決意して、カメラが三段階で引く。
その三段階は、ただの約束事、様式であると同時に、作り手にとっては
遊びどころでもあるわけです。客がそうくると安心し、期待している時は
裏切れるチャンスだし、期待に応えるチャンスでもある。
安心の中にありつつ、鼻面を適度に引き回されるのが快感なわけで
それが娯楽の本質でもあります。行き過ぎない。けど置いて行く。


でもそれをやるにはいろいろ条件や苦労がある。
今日も3段階でカメラ引きたいけど、たまたま役者の体調が悪いとか
機材トラブルが、スタッフの人数が、とかいろんなことが起こり得るわけで、
一概にちゃんとやってねーじゃねーか!と怒るのもまた無粋極まりない。

というのを踏まえたうえで、千葉の回とか、おおー!とか声出たもんな。
コンディションよくないのにバカすぎて。

演出の優劣(と言い切っていいくらい差があるんすが)は、それが
才能によるものか愛情によるものか状況によるものかはわかりません。

が、明らかな努力と工夫がある場合、きちんとそれを感じ取って
評価できる客観性を備えたいもんだな、とつくづく思いました。
よしシーズン1も見てみよう。


などと文字だけで終わらすのは、容量の問題ではなく
そういう気分だからでございます。
幼稚なラクガキ画像とかアップしてたヘラヘラしてた昨日の自分を

恥じているのでございます。
posted by サンダーロードスタイル at 05:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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